新聞はどうあってほしいのか。

  • 新聞が提供する情報の正しさ

 僕はもう長いこと日経新聞を読んでいません。理由は、「読んでも読まなくても生活に影響がない」からです。具体的には、日経新聞を購読する費用、読む時間、新聞を廃棄する手間などのコストの方が圧倒的に大きく、それを超える価値を新聞を読むことで生み出せないからです。その一方で、NYTimesやBusiness Weekはウェブで読んだりします。インターネットさえあれば、簡単にその場で読めて廃棄を考える必要もなく、フリー(無料)だからです。

  • あらゆる分野の情報はその道の専門家にはどのようにみえているのか

 個々人の価値観によりますが、新聞で使われる言葉の定義のあいまいさ、表現のわかりにくさ、結論の見えなさ、意見の不明瞭さは読んでいて非常に気持ち悪いのですが、それ以上に新聞を絶対的な正として妄信し、社会人のバイブルかのような扱われ方をされている事がおかしいかと。

 逆説的ですが、少なくとも投資・財務・企業面は会計士であれば、記載されていることを100%信じて読んではいけない紙面です。一昔前、CDSの定義の書きっぷりのひどさにびっくりしました。そう、専門家の目から見ると明らかにおかしい記載が多いのです。

 これは、僕が日ごろから会計に接していることが多いためでしょうが、同じことが政治・経済・医療・教育の面でいえると思います。つまり、自分の専門分野ほど、新聞で情報を入手しようとしてはいけないということです。

  • 新たなるメディアからの圧力を受けることで価値を高める新聞

 そういうわけで、僕は新聞の提供する情報の信憑性そのものを相当疑っているのですが、その一方でここに専門家がメディアに入り込む余地があるのではないかと思っています。具体的には、新聞が提供する記事の不確かさを補足する役割です。現状、ある特定の分野についてYahoo!や日経のネット版などをニュースを集めてBlogにしている人もいますが、それはゴミ屑のような情報の寄せ集めに過ぎません。

 本当に必要なのは、特定の情報に対して、その分野の専門家が情報を補完する知の集合体。一つの新しいメディアとして、専門家が自身の意見や考えを付け加えて提供する巨大なニュースサイトなどもあればいいなと思う次第です。